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戦前の工作機械5大メーカーについて

戦前の日本における工作機械5大メーカーについて詳しく知りたいですか。

この記事を書いた私は工具メーカーでの営業・マーケティングの経験を活かし、切削工具と切削加工業界に特化した専門サイト「タクミセンパイ」を2020年から運営しています。
切削加工に関連した情報源を網羅的に確認し、独自の構成でまとめました。

本記事では戦前の日本における工作機械メーカー誕生と工作機械5大メーカー、池貝鐵工所と唐津鐵工所の歴史についてまとめています。
この記事を読むことで、日本における戦前の工作機械発展における重要企業・人物と発明について詳しく知ることができます。

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戦前の工作機械5大メーカーについて

本記事では切削加工に関連した情報源を元に戦前の工作機械メーカー、特に5大メーカーについてまとめています。
信頼できる情報源として書籍を中心に、PDFで提供されている資料なども確認しています。

切削加工業界に携わるすべての方が楽しめる内容として、専門的な内容は最小限として、歴史上の重要企業・人物と発明を中心に紹介しています。

記事全体の流れとして、時系列を意識して構成しています。
参照した情報源によって年代表記が異なる場合があることをご了承ください。

参考文献

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下記を参考文献とさせていただきました。

工作機械技術の変遷(著者:長尾克子、出版:日刊工業新聞社、発売年:2002年)
マザーマシンの夢 -日本工作機械工業史-(著者:沢井実、出版:名古屋大学出版会、発売年:2013年)
工作機械産業の職場史 1889-1945 「職人わざ」に挑んだ技術者たち(著者:山下充、出版:早稲田大学出版部、発売年:2004年)
工作機械を創った人々(著者:宮崎正吉、出版:三豊製作所、出版年:1983年)
日本の機械工具一世紀のあゆみ(著者:木村弥作商店創業100周年記念誌委員会、出版:木村弥作商店、出版年:1986年)



戦前の工作機械メーカー誕生

戦前の日本で設立・創業した工作機械メーカーに関する情報をまとめています。

戦前の工作機械メーカー設立・創業

戦前の日本で設立・創業した工作機械メーカーを時系列でまとめました。

設立年・創立年会社の設立・創業および改称
1875年田中製造所 設立
1889年池貝工場 創業
1893年田中製造所から芝浦製作所に改称
1895年日本石油付属 新潟鐵工所(ニイガタマシンテクノ)創業
1898年大隈麺機商会(のちの大隈鐵工所)創業
1898年若山鐵工所(のちの新日本工機)創業
1903年碌々商店(のちの碌々スマートテクノロジー)創業
1909年芳谷炭鉱 唐津鐵工所(のちの唐津鐵工所)創業
1910年東京瓦斯工業 設立
1910年新潟鐵工所(ニイガタマシンテクノ)設立
1913年東京瓦斯工業から東京瓦斯電気工業に改称
1913年池貝鐵工所に改組
1916年唐津鐵工所(のちの唐津プレシジョン)設立
1918年大隈鐵工所(のちのオークマ)設立
1919年山崎鉄工所(のちのヤマザキマザック)創業
1929年ストロング商会(のちの安田工業)設立
1937年牧野商店製作部(のちの牧野フライス製作所)創業



戦前の工作機械5大メーカー誕生

工作機械メーカーの誕生は、工作機械の製造を主目的としたものではなく、蒸気機関や軍需品の製造に必要な設備として内製したことから始まることが世界的な共通点です。

イギリス・アメリカ・ドイツでは、機械製品や部品を製作するために工作機械が必要だったことから内製し、その後工作機械メーカーになった企業が現れました。
日本の工作機械メーカーの誕生も海外と同様です。

石油発動機を中心とする内燃機関の開発と生産を行っていたのが「池貝鐵工所」と「新潟鐵工所」、鉱山用機械の修理および製作を目的に設立されたのが「唐津鐵工所」、自動車製造に関わっていたのが「東京瓦斯電気工業」で、それぞれ事業で必要な工作機械の製造から開始しました。

「大隈鐵工所」は少し特殊で、麺機を製造・販売する大隈麺機商会として創業しました。
麺機は製麺するための一種のシステム機械であり、最後に麺を切るためのねじ状の部品は旋盤の親ねじと近い精度が必要でした。
日露戦争以降の軍需の流れで、大隈麺機商会は1904年(明治37年)に精度の高い加工技術やシステム機械製造の技術を活かし、工作機械の製作をはじめます

池貝鐵工所・新潟鐵工所・大隈鐵工所・唐津鐵工所の各鉄工所に、東京瓦斯電気工業を加えた5社が、大正時代から昭和初期における工作機械5大メーカーといわれています。

新潟鐵工所と東京瓦斯電気工業は総合機械メーカー、唐津鐵工所は工作機械専業メーカー、池貝鐵工所と大隈鐵工所は少数の部門を有する兼業メーカーでした。

戦前においては、軍工廠や鉄道省など大手ユーザーの信頼を獲得した企業のみが、主要な工作機械メーカーの地位を維持することができました。
1920年代半ば以降の工作機械メーカーといえば5大メーカーといえます。

下記は第一次世界大戦後における5大メーカーの従業員数です。

企業名第一次世界大戦後の
従業員数
池貝鐵工所700人
新潟鐵工所400人
唐津鐵工所480人
東京瓦斯電気工業約265人
大隈鐵工所270人


1920年(大正9年)の工作機械生産は東京(池貝鐵工所・東京瓦斯電気工業)・大阪・佐賀(唐津鐵工所)・愛知(大隈鐵工所)・新潟(新潟鐵工所)で97.5%を占めていました
新潟の工作機械生産が高かったのは、生産の中心地である長岡が明治20年代に本格する油田の発展とともに進み、採油のための機械などの需要が高かったからです。

1920年(大正9年)の国内メーカー3社(池貝鐵工所・新潟鐵工所・唐津鐵工所)の市場シェアが下記です。

国内生産池貝鐵工所新潟鐵工所唐津鐵工所3社合計
(3社比率)
11,900千円2,311千円552千円1,200千円4,063千円
(34.2%)


池貝鐵工所・新潟鐵工所・唐津鐵工所で国内生産額の約3割を占めています。

池貝鐵工所は「池貝」、新潟鐵工所は「ニイガタマシンテクノ」、大隈鐵工所は「オークマ」、唐津鐵工所は「唐津プレシジョン」に変わりました。
また、東京瓦斯電気工業は「国産精機」→「日立精機」を経て工作機械事業を「DMG森精機」へ、フライス盤事業を「エツキ」に引き継いでいます。


戦前の工作機械5大メーカーを見ることができる日本工業大学 工業技術博物館

日本工業大学 工業技術博物館では、戦前の工作機械5大メーカーである池貝鐵工所・新潟鐵工所・大隈鐵工所・唐津鐵工所・東京瓦斯電気工業の工作機械をすべてを見ることができます。
展示されている工作機械から各社1台ずつ写真を掲載しています。

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日本工業大学 工業技術博物館 展示:普通旋盤(池貝鐵工所)



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日本工業大学 工業技術博物館 展示:S型旋盤(新潟鐵工所)



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日本工業大学 工業技術博物館 展示:普通旋盤 LS形(大隈鐵工所)



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日本工業大学 工業技術博物館 展示:ライジアルボール盤 DR-360形(唐津鐵工所)



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日本工業大学 工業技術博物館 展示:門形平削り盤(東京瓦斯電気工業)



日本工業大学 工業技術博物館については「日本工業大学 工業技術博物館で切削加工の歴史を見て学ぶ」で詳しく紹介しています。

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池貝鐵工所の工作機械業界への貢献

戦前の工作機械5大メーカーの1つ、池貝鐵工所に関する情報をまとめています。

田中製造所の誕生

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田中久重


池貝鐵工所誕生に関わる重要な技術者として、「田中久重」が存在します。

田中久重は江戸時代後期から明治にかけての発明家で、機械づくりの天才として「東洋のエジソン」と呼ばれていました。
人形を揚水機関で躍らせて笛を吹かせたので、人は田中久重を「からくりや儀右衛門」と呼び、天下にその名を轟かせます。

田中久重は大砲の製造や蒸気船建造に関わり、75歳となった1875年(明治8年)に日本で最初の民間機械工場である「田中製造所」を東京に設立しました。
海軍工廠から発注される水雷発射管を主に生産し、明治20年末期には職工465人が働く民間最大の機械工場に発展します。

久重の死後、2代目が引継ぎ工場を芝浦に移転し、1893年(明治26年)に「芝浦製作所」に改称しました
芝浦製作所は後に東京電気と合併し、「東京芝浦電気」となり、現在の「東芝」の基礎となります。


池貝鐵工所の誕生

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池貝庄太郎


田中製造所には腕の良い旋盤工がおり、これが「池貝庄太郎」でした。
池貝庄太郎は田中製造所で旋盤工として技能を評価され、1889年(明治22年)に20歳の若さで独立し、「池貝工場」を創業します。

池貝庄太郎(20歳)と弟の「池貝喜四郎(12歳)」を含む4人で国産第1号の英語式9フィート旋盤を自社設備として1889年(明治22年)に2台製作しました。

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池貝工場製 1889年製造 第1号旋盤(国立科学博物館にて2024年撮影)


池貝工場製 英語式9フィート旋盤は現存する最古の国産旋盤として国立科学博物館に展示されており、2012年に日本機械学会より機械遺産に認定されました。

池貝工場は町工場としてスタートした旋削屋です。
艶出しロールが主力製品となり、その後に石油発動機・ガスエンジン・煙草機械などを製作して商品化しました。

工作機械が商品となったのは1899年(明治32年)、海軍機関学校から受注した旋盤・形削り盤・平削り盤・ボール盤を特注生産として対応したところからです。

池貝工場の工作機械を精密機械としてさらに発展させたキッカケは、当時東京高等工業学校(現在の東京工業大学)の外国人教師である米国人の「C・A・フランシス技師」でした。
フランシス技師はプラット&ホイットニー社に20年在籍していた技術者です。

東京高等工業学校で米国ブラッドフォード社仕様の6尺旋盤2台を実習用に導入することになり、輸入品ではなく当時有名になりつつあった池貝工場に製作が依頼されました。
日本で米国一流機であるブラッドフォード社と同様の旋盤はつくれるはずがないと周囲は考えていましたが、最終的に依頼された旋盤を完成させます。

当時池貝工場ではノギスやマイクロメータは使われていませんでしたが、6尺旋盤製作をキッカケに日本流から米国流に製造方法を転換しました。

1901年頃(明治34年頃)から池貝式旋盤がその性能を認められ陸海軍工廠などに納入されるようになります。
池貝式旋盤は、英式と米式の折衷型として評価されました。

池貝庄太郎は、弟の喜四郎と時間があれば横浜のホーン商会にある最新機械を見に行き、技術を仕入れていました。
1903年(明治36年)に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会では、ホーン商会から自動盤・グラインダーなどを購入して工場の設備を拡充させています。

池貝工場は1906年(明治39年)に「合資会社池貝鐵工所」となり、1913年(大正2年)に「池貝鐵工所」となりました


池貝鐵工所の取り組み

フランシス技師は東京高等工業学校の教師を経て1906年(明治39年)に池貝鐵工所に入社します。
工場管理の改善をフランシス技師は進め、治具やゲージなどを使ったアメリカ式生産方式の技術を池貝鐵工所に導入していきます。

池貝鐵工所では標準旋盤を量産するために、工程分析と治具を整備し、未熟練工でも組み立てを可能にしました。
さらに、池貝鐵工所では機械加工において部品に限界公差を与え、互換するように各工程で治具・ゲージ類を多用し、精度の高い均一性の優れた部品の量産に成功します。

池貝鐵工所はJigに「治具」の漢字を与えたといわれる元陸軍技師の「長沢寸美遠」を1934年~1935年(昭和9~10年)に工場長待遇で顧問に迎えるなど、技術者や職長への徹底的な教育を実施していました。

池貝鐵工所では1932年以降、超高速度旋盤を開発するために高速度工具鋼の切削工具としてウィディア、タンガロイを使用しました。
また、超高速度旋盤の設計・製作のためにドイツからモデル機種を輸入し、その製作に必要な多数の機械・治工具・測定器具を導入します。

池貝鐵工所の研究・開発の成果が、1935年(昭和10年)に市販されたウィデイア・タンガロイに対応した工作機械であるD型標準旋盤、H型超高速旋盤です。
従来の旋盤の2倍以上の主軸回転速度を有する超高速度旋盤でした。

大正・昭和初期は匹敵するメーカーがいないほど質量ともに池貝鐵工所はトップに君臨していました。
工作機械といえば、誰しもが池貝鐵工所を頭に浮かべるほどの名声を保持します。

さらに、池貝鐵工所では昭和初期から養成工制度を創設し、熟練工の育成に努めました
1935年(昭和10年)頃に青年学校を社内に設け、技能工の養成を進めます。

溝の口にあった青年学校には1学年200名、全体で800名が在籍していたと記録があります。
学科は一般教育と設計・製図が用意され、機械組み立てコースはハンマー・ヤスリ・キサゲなどを機械組み立て職場で、機械加工コースは旋盤・フライス盤などを機械加工職場で技能訓練を受けていました。


池貝喜四郎の取り組み

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池貝喜四郎


池貝喜四郎は13歳の時から旋盤を動かし、各種工作機械の操作と構造に精通していました。
英語は読めませんでしたが、外国機のカタログを読んで図から構造を理解し、知識を磨いていきます。

池貝喜四郎は日本の工作機械の技術水準を設計面だけでなく、製造・生産管理など全般にわたって最も高く引き上げた人物の1人です。
明治中期以降、新しい輸入工作機械は池貝喜四郎に使ってもらって、その名声を実証したという話も残っています。

また、池貝喜四郎は工作機械工場は工具の製作工場でもあるべきという考えを持っており、大正初期より各種工具のカタログを刊行してこれらの外販も始めます
1938年(昭和13年)の工作機械事業法によって工作機械工場の工具製造が禁止されるまで、各種工具を製作外販する国内唯一の工場でした。

池貝喜四郎はツーリングづくりが得意であり、小穴製作所へ納めたタレット旋盤、富士電機へ納入したモーターシャフト用多刃旋盤のツーリングは自分でつくりました。
納入先から加工率が上がりすぎて困ると褒められ、これが評判となって陸軍の依頼でタップ・ダイス製造工場の切削指導まで行いました。

さらに、池貝喜四郎は大量生産のためには良質な工具だけでなく、治具や測定機こそが決定的であるとして海外の機械工業を学びました
そして、国内の製造業において大量生産が起きることを池貝喜四郎は予想し、日本で最も早い1916年(大正5年)に製造現場に限界ゲージを採用します。


池貝式D20型旋盤開発

池貝式D20型旋盤開発にあたって参考としたのは、工作機械技術で有名なシュレジンガー博士らの研究をもとにVDW(ドイツ工作機械メーカー協会)加盟4社で共同設計したVDF旋盤です。
1930年代に誕生したVDF旋盤は高性能であり、ドイツの工作機械が世界的な成功をおさめるキッカケとなった製品であり、ベストセラー機となりました。

池貝鐵工所はVDF旋盤のうちE3型旋盤を1台輸入し、1932年(昭和7年)から研究を開始しました。

池貝鐵工所はVDFとの技術提携を検討しましたが、代理商社より日本の工作機械製造技術がドイツに及んでおらず、対等な交渉ができないと判断されました。

VDF旋盤は精度・剛性に優れ、未熟練工にも使いやすい設計でしたが、完全コピーをすることについてはこれまでの誇りから池貝鐵工所社内で抵抗の声がありました。
しかし、海外製工作機械の方が飛躍的に発展しており、技術水準に追いつくために、池貝鐵工所は完全コピーをまずは受け入れます。

3年間の研究と試作性能実験の結果、1935年(昭和10年)に池貝式D20型旋盤が完成しました。

当時の工作機械メーカーとして最高級の技術水準を求め、製作難易度の高い工作機械でしたが、D20型旋盤は新標準型旋盤にふさわしい完成度でした。
D20型旋盤は戦時において必要な普通旋盤、タレット旋盤、専用機など多機種を必要とする場合に対応できる最適な旋盤であり、シリーズが展開されてフレキシビリティを発揮しました。



唐津鐵工所の工作機械業界への貢献

戦前の工作機械5大メーカーの1つ、唐津鐵工所に関する情報をまとめています。

唐津鐵工所の誕生

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竹尾年助


「竹尾年助」は東京工業学校への受験勉強中、福沢諭吉の講演を聞き、工業立国こそ日本の将来像であると確信します。

東京工業学校卒業後、渡米し工業について学びます。
米国の機械工業の中心地であるニューイングランド地方で順次3社で勤務し、エンジン・繊維機械・各種大型機器の設計・製造・工場管理を経験しました。

米国から帰国後、日本の機械工業の現状を見て自分が工作機械を米国式で製作しなければならないと考えました。
そして1909年(明治42年)、竹尾年助は炭鉱の一部門として唐津鐵工所を創業します。

竹尾が唐津鐵工所の創設する時に条件が下記でした。
1.他の同業者が製作を欲しないものを製作する
2.ほかの同業者より、よい物を、安く供給する
3.先進工業国の新知識の導入に努め、国家を益する有意義な仕事をする
4.一日も早く現在の輸入機械の国産化を図る。真の国産化とは独創の製品を輸出することが真義である

唐津鐵工所は主に自社の炭鉱用機械を製造する機械工場としてスタートしています。
唐津鐵工所創業から2年後の1911年(明治44年)には初めての工作機械として14インチ旋盤を世の中に送り出しました


唐津鐵工所の大型工作機械

大型・超大型の工作機械について、当時は唐津鐵工所以外では製造できませんでした。

唐津鐵工所が大型工作機械を製造することになったキッカケは、第一次世界大戦の勃発により英国メーカーに依存していた海軍関係の大型工作機械輸入が止まったことで、米国並みの技術水準を当時保有していた唐津鐵工所に注文が入りました。
従来、大型工作機械は輸入品でないとダメだと思われていましたが、唐津鐵工所が完成させた大型工作機械の性能を確認してその考えが変わることになりました


竹尾年助の経営者としての取り組み

竹尾自らが1機1機検査することで、唐津鐵工所では工作機械の高い品質を確保しました。

そして、原価を下げ、売価を低くして、客先の要望に耐えるという信念から、唐津鐵工所では在庫生産の形式でロット生産を採用しました。
1ロット6台としてまとめて製作することで、各部品を複数製作して低コストと加工組立作業の早期習熟をはかるといった効率的な製作方法を採用しています。

また、当時日本でもほとんど取り組まれていなかった原価計算を詳細に行う工程管理方式を唐津鐵工所は採用していました。
各機械ごとに毎日の運転時間を記録し、それぞれの機械についての1時間あたりの工賃・償却費・経費を算出した上で現場作業にあたり、各工程ごとの作業記録に機械加工時間の始めと終わりを記録しました。

原価計算を導入するハードルが高かった当時、竹尾年助はこれを確立して導入しました。

唐津鐵工所は開発力・製造技術だけでなく、工場経営管理でも優秀さを発揮した会社でした。


竹尾年助の教育者としての取り組み

竹尾は若い養成工を育成するために、唐津鐵工所見習学校に3年間入学させ、学課授業と実習に専念させます。
唐津鐵工所見習学校の学費は卒業後2年間唐津鐵工所に勤務することで全額免除されました。

勉強と就職が両方得られるため優秀な技術者が唐津鐵工所に集まり、卒業生は日本の機械工場に散って技術を向上させました。

編集長コメント

「戦前の工作機械5大メーカーについて」いかがでしたか。

機械・工学・精密などをテーマとした書籍含め、工作機械に関連した情報源を網羅的に確認し、独自の構成でまとめてみました。

切削加工業界に携わるすべての方が楽しめる内容を目指し、専門的な内容は最小限に抑え、歴史上の重要企業・人物と発明を中心に紹介しています。
この記事を直接業務に活用するのは難しいかもしれませんが、工作機械の理解を深める上で重要な内容であると考えていますので、参考にしていただけると嬉しいです。

本記事で紹介した工作機械の実物を見ることができる施設が存在しており、「歴史的価値のある工作機械を見ることができる施設9選と機械遺産7選」の記事で紹介しています。

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執筆者情報

hattori


本記事はタクミセンパイの服部が執筆・編集しました。

私は工具メーカーでの営業とマーケティングの経験を活かし、切削工具と切削加工業界に特化した専門サイト「タクミセンパイ」を2020年から運営しています。
私(服部)の実績や経歴については「運営について」に記載しています。

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