
切削工具と切削加工業界の情報を発信するポータルサイト「タクミセンパイ」をご覧いただきありがとうございます。
当サイトを運営する編集長の服部です。
本記事では「JIMTOFと切削加工業界の歴史」について、JIMTOF公式X(旧Twitter)の内容から振り返る記事です。
「JIMTOFと切削加工業界の歴史」についてより理解を深めたい方にオススメの記事です。
【記事の信頼性】
本記事を書いた私(服部)は2014年から切削加工業界に携わり、2020年から「タクミセンパイ」を運営しています。
工具メーカーで営業として500社以上の切削工具ユーザー(工作機械で切削加工されている方)に訪問し、技術支援をさせていただきました。
また、マーケティングとして展示会とイベントの企画・運営、カタログとWEBサイトの大型リニューアルプロジェクト、ブランディングプロジェクトを経験しました。
営業とマーケティングの経験をもとに、切削加工業界で働く皆さまに向けて本記事を執筆しています。
- JIMTOFの歴史
- 第1回(1962年)
- 第2回(1964年)
- 第3回(1966年)
- 第4回(1968年)
- 第5回(1970年)
- 第6回(1972年)
- 第7回(1974年)
- 第8回(1976年)
- 第9回(1978年)
- 第10回(1980年)
- 第11回(1982年)
- 第12回(1984年)
- 第13回(1986年)
- 第14回(1988年)
- 第15回(1990年)
- 第16回(1992年)
- 第17回(1994年)
- 第18回(1996年)
- 第19回(1998年)
- 第20回(2000年)
- 第21回(2002年)
- 第22回(2004年)
- 第23回(2006年)
- 第24回(2008年)
- 第25回(2010年)
- 第26回(2012年)
- 第27回(2014年)
- 第28回(2016年)
- 第29回(2018年)
- 第29回(2018年)
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JIMTOFの歴史
JIMTOFは「JAPAN INTERNATIONAL MACHINE TOOL FAIR」の頭文字で、日本国際工作機械見本市とも呼ばれ、切削加工業界において国内最大の展示会です。
JIMTOFは偶数年に東京ビックサイト(東京国際展示場)で開催されています。
第1回(1962年)は大阪で開催されており、第19回(1998年)までは2年ごとに大阪と東京で交互に開催されていました。
第20回(2000年)からは東京のみでの開催となりました。
JIMTOFについては「【2022年】JIMTOFとは」で詳しく紹介しています。
1962年から2年おきに開催されてきたJIMTOFについて、公式X(旧Twitter)の情報を確認し、切削加工業界の歴史に触れていきます。
第1回(1962年)
第1回のJIMTOFは大大阪国際見本市港会場(インテックス大阪移転前に存在した展示会場)で開催されています。
工作機の出展については、実用段階に入りつつあったNC工作機械が増加し始めた時期でした。
ただ、当時は加工にあわせてNCテープを手作業で作成しなければなりませんでした。
また、当時の切削工具について、超硬工具は既に存在していましたが、切削工具の主流はハイスでした。
第2回(1964年)
東京で初めてのJIMTOFで、東京国際見本市会場(東京国際展示場(ビックサイト)建設前に存在した中央区晴海にあった展示会場)で開催されました。
1964年は日本(東京)で初めてオリンピックが開催された年です。
オリンピックに合わせて競技場や首都・東名・名神高速道路、東海道新幹線などのインフラの建設ラッシュとなり、切削加工業界の需要も増しました。
また、1964年は「生産財マーケティング」が創刊しました。
「機械技術」は1953年に、「機械と工具」は1957年に、「ツールエンジニア」は1959年に創刊しています。
第3回(1966年)
東京オリンピックが終わると、好景気の反動で「昭和40年不況」が訪れ、切削加工業界も影響を受けました。
マシニングセンタの歴史について、米国のKerny & Trecker社が1958年にマシニングセンタと名付けて発表したのがはじまりで、「ミルウォーキーマチック」という名称で1960年のシカゴショウに出展しています。
日本でのマシニング出展は少し遅れて1966年のJIMTOFで初登場したことになります。
ちなみに、日本では1964年に日立製作所が自動工具交換装置付きマシニングセンタを完成させています。
第4回(1968年)
車(Car)、カラーテレビ(Color Television)、クーラー(Cooler)の3Cが普及した時代で、当時は今より圧倒的に日本製メーカーが強い時代だったと考えられるので、工作機械および切削工具の需要が増えていたのが想像できます。
また、前年1967年に名古屋市国際展示場(ポートメッセなごや)の第1展示館が完成しています。
2022年に第1展示館は建替えが実施され、金城ふ頭駅車止めの南側に移転します。
第5回(1970年)
現在のJIMTOF開催期間は6日間なので、倍の12日間開催は出展社の皆さまのパワーに驚きます。
第6回(1972年)
JIMTOF2018が会場面積265,752m²で開催されているため、2018年比で70%くらいの規模で開催されています。
既に開催規模が大きかったことがわかります。
前年1971年、日本はニクソン・ショックで大打撃を受けていました。
円高が急速に進み、日本は輸出で大きな利益を得ることが困難になっていました。
また、1970年に開催された大阪万国博覧会の反動で、日本の景気は東京オリンピック後と同様の状況が起きていました。
1972年、日本が世界で初めてコンピュータを内蔵したNC装置を開発し、サーボ機構も油圧式からDCモータに置き換わりました。
1970年頃からNC装置を搭載した工作機械が世界的に普及し始めましたが、当時は高額であり、コンピュータに精通した技術者だけが操作できる状況でした。
第7回(1974年)
1973年に第1次オイルショックが始まり、1974年に開催された第7回のJIMTOFはその影響を大きく受けていたことが想像できます。
オイルショックの経験を踏まえて工作機械ではコスト低減が図られ、省エネや省人化に向けた設備更新が活発となりました。
また、1974年は国際ロボット展がスタートした年でもあります。
第8回(1976年)
1976年といえば、これまで日本における切削工具の主流だったハイス工具が、超硬工具に首位を譲った年になります。
詳しくは「切削工具の歴史と切削工具メーカーの発展」に記載しています。
第9回(1978年)
1978年頃からCNC(Computer Numerical Control , コンピューター数値制御)が主流になり始めたことがわかります。
旋盤のNC化率について、1973年に21%だったのが1978年には52%まで急増しています。
第10回(1980年)
「【2022年】JIMTOFとは」で触れていますが、1980年の第10回から海外の来場者が大きく伸びています。
また、1980年は自動車の生産数が1000万台を突破し、日本が世界一の生産国になりました。
第11回(1982年)
今では展示会で当たり前の、出展者と来場者を見分ける名札は1982年の第11回から導入されたんですね。
1982年は、これまで世界のトップであったアメリカの工作機械生産額を日本が抜いた年です。
2008年までの27年間、日本は工作機械生産額の世界トップを維持しました。
第12回(1984年)
写真にあるJIMTOFのロゴは今とは異なるデザインをしています。
また、野外にゲートがあるのも現在の展示会とは異なりますね。
第13回(1986年)
1985年にインテックス大阪がオープンし、1986年の第13回ではインテックス大阪も会場として利用されています。
また、翌年1987年からMECT(MECHATRONICS TECHNOLOGY JAPAN / メカトロテックジャパン)が名古屋でスタートしています。
第14回(1988年)
JIMTOF2018が5,524小間で開催されているため、2018年比で90%くらいの規模です。
開催規模はほぼ今と同じくらいですね。
翌年1989年には世界4大工作機械見本市の1つ、CIMT(中国国際工作機械見本市)がスタートしました。
CIMTはJIMTOFがスタートしてから26年後に始まっており、世界4大工作機械見本市の中で一番新しい展示会です。
第15回(1990年)
JIMTOF2018が全出展社1,085社に対して海外が320社の約30%なので、今より多い40%を占めていたのは驚きです。
第16回(1992年)
1992年の第16回は、東京国際見本市会場(東京国際展示場(ビックサイト)建設前に存在した中央区晴海にあった展示会場)における最後の開催でした。
1991年から1993年までがバブル崩壊期間とされており、1992年の第16回はその影響を受けたことが想像できます。
第17回(1994年)
ゲートや会場のマットの色など、1994年の第17回は青がテーマカラーであることがわかります。
当時は開催年ごとにテーマカラーがあったのでしょうか。
第18回(1996年)
1996年に東京国際展示場(東京ビックサイト)がオープンし、東京国際展示場で初めてJIMTOFが開催されました。
当日の工作機械のNC化率は80%を超えており、2007年に90%に到達しています。
ちなみに東京国際展示場全館を使って開催されるイベントはJIMTOF以外に下記があります。
- 東京モーターショー
- 東京インターナショナル・ギフト・ショー
- JAPAN IT WEEK春
- スマートエネルギーWEEK
- 街づくり・流通ルネサンス
- コミックマーケット
第19回(1998年)
1998年の第19回が大阪(インテックス大阪会場)で開催される最後のJIMTOFでした。
第20回(2000年)
2000年の第20回からJITMOFは東京にて隔年開催となりました。
写真より、JIMTOFのロゴが1998年の第19回から変わっています。
第21回(2002年)
写真より、JIMTOFのロゴが馴染みのなるデザインになっています。
つまり2002年から今のロゴなんですね。
第22回(2004年)
2004年の第22回から、今では当たり前となった主催者による企画展示が開始されています。
第23回(2006年)
当時の工作機械について、5軸制御・複合加工機の展示が多く、「複合化」「IT化」「微細加工化」「省エネ」「環境」のキーワードとして掲げている企業が多かったようです。
第24回(2008年)
2008年はリーマンショックが発生した年であり、切削加工業界も大きなダメージを負いました。
第25回(2010年)
テーマ「モノづくり 未来を創る夢づくり」は一般応募で決まったんですね。
第26回(2012年)
2011年の東日本大震災後に初めて開かれたJIMTOFです。
東京で開催予定だったインターモールド2011は東日本大震災の影響で中止になりました。
MECT2011は開催されましたが、来場者が前年と比較して約1割減少しました。
第27回(2014年)
「きさげ」の実演は面白いですね。
JIMTOF2014で海外の来場者数が初めて1万人を突破しました。
余談ですが、私は工具メーカーに入社する前の見学で、JITMOF2014に初めて参加しました。
会場の人の多さに圧倒されたのを今でも覚えています。
第28回(2016年)
この頃から「AI」や「IoT」の露出が増えていったのですね。
JIMTOF2016から東新展示棟の利用が始まりました。
余談ですが、私は工具メーカーとして初めてJIMTOF2016に出展社として参加いたしました。
第29回(2018年)
新型コロナウイルス発生前としては最後のJIMTOFです。
世界21の国と地域から合計1,085社、5,524小間が出展され、初めて出展者数が1,000社を超えました。
また、会期中の来場者数(重複なし)は153,103人(内、海外来場者数は12,934人)に達し、いずれも前回を大幅に上回るとともに、来場者の完全登録制を採用後、過去最高となりました。
日本政府観光局(JNTO)のデータより、2019年年間の訪日外国人数(推計値)は、前年比2.2%増の3,188万2,100人で、過去最多を更新しています。
2020年は東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会が開催される予定だったため、さらに訪日外国人数は増加すると予測されており、JIMTOF2020の期待値は非常に高い状況でした。
第29回(2018年)
新型コロナウイルスの影響で中止となり、初めてオンラインでJIMTOFが開催されました。
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